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金山城跡
かなやまじょうせき

指定 国指定史跡
所在 太田市金山町
概要 ・1469(文明元)年、標高235.8mの金山に築城された山城。
・山上だけでなく山全体が要塞として造られている。
・現在残る規模の金山城を築城したのは岩松氏(岩松明純の代)とされる。天正12年(1584)に、後北条氏の支配となり天正18年(1590)に廃城となる。

状況 保存整備 
・建築物は現存しないが石垣などの構造物が随所に残っている(一部復元)。
・遊歩道があり、要所には詳しい説明板を設置。
・広い駐車場あり。

写真 2002年06月03日撮影


本城辺りに設置された案内板の平面図を使って各部の名称などを示した図。


【大手門跡】
太田市街から県道321号金山城跡線を北上、金龍寺を過ぎて
しばらく進むと左側に広い駐車場のような空き地がある。
金山城跡の大手門があったところ。説明板が立っている。
残念ながら以前ホテルが建設された際に、石垣などの遺構は
すべて破壊されてしまっていて、大手門跡は見る影もない。


【城跡への道】
城跡への県道金山城趾線。県道を示す六角形の標識(ヘキサ)には上から「県道 金山城趾 群馬」とある。(足ヘンに止の城趾)

【駐車場】
案内看板に従って山道を登りきると広い駐車場がある。
ここは城跡の西端に近いところで、西城曲輪の直下にある。
新田神社の建つ金山城実城(本丸)までは尾根沿いを歩いて
行くことになる。往復するだけで結構な運動になる。


【西城】
見附出丸から元の道を戻り、堀切で仕切られた東側の「西城」に入る。金山城に付随した一つの城郭で、金山城主由良氏の一族である泉伊予守の居城だった。当時の遺構が現存。

【西矢倉台西塹壕からの眺望】
尾根から北の方の眺め。山城散策の楽しみである。

【馬場下通路・土橋】
手前に見えるのは「土橋」と呼ばれる堀を渡る通路。城内の曲輪と外との出入口に設けられるが、敵にとっては好都合な通り道となるので、これを迎え撃つために石垣設けて防御した。
ここを通過すると向こう側は実城へ通じる通路「馬場下通路」。
この左手上方に「馬場」があるためこう名付けられた。


【竪堀】
馬場下通路から斜面に深く刻まれた「竪堀」を見る。
敵が斜面に沿って動き回れないようにするための防御設備。
石垣から矢を射かけたり石などを落として敵の侵入を拒んだ。


【建物跡】
馬場下通路を進むと「建物跡」がある。2棟発見された。
土に直接柱を立てた掘立柱建物ではなく、礎石を置いてその上に柱を立てた建物。


【物見台】
城跡の周囲の状況を見るために造られた「物見台」の跡。
写真に見えるコンクリート製の構造物は、当時の物見台を復原
したものではないと説明板に注釈が記されている。
このような記述があると、誠意を持って城郭遺構を整備したことが
伝わってきて気分がいい。因みに、建っている位置は発掘された
4本の柱穴に基づいているということだ。


【物見台からの眺望】
物見台にある展望台から見た太田市街の展望。
駐車場から最奥の実城(新田神社)までの中間地点にあり、ちょっと休憩するにはちょうどいい。

【馬場曲輪】
物見台から馬場通路(馬場下通路の上段を通る通路)を通って
進むと、いよいよ金山城の中心部に近づく。

【月ノ池】
坂を下ると「月ノ池」がある。これは観賞用の池ではなくて貯水池である。石垣でしっかり造ってある。
山城はその地形からわかるように水源の確保が難しい。攻められて籠城する時は水がなければ身が持たないため、どこの山城でも水の確保が絶対必要だった。


【大手虎口】
「虎口」とは曲輪への出入口。ここを通らないと城の中心部へ進むことができない。特にこの大手虎口は重要なポイントだったので、威圧するような高い石垣を積み、通路に侵入する敵の動きを制するために通路を折れ曲がらせるなど巧妙な構造となっている。


設置された説明板にある大手周辺の図。


【日ノ池・休憩所】
日ノ池の南側の「南曲輪」に休憩所がある。トイレもある。
その向こうには広大な関東平野の眺望が広がる。


【日ノ池】
池の鯉。



【日ノ池・休憩所】
日ノ池の南側の「南曲輪」に休憩所がある。トイレもある。
その向こうには広大な関東平野の眺望が広がる。


【本城】
「日ノ池」のある水ノ手曲輪を含む約1万平方メートルに及ぶ金山城の中心部。城主が住んだ御殿の礎石が発掘されている。
写真の道は実城(天主曲輪)にある新田神社への参道。


【日ノ池・休憩所】
日ノ池の南側の「南曲輪」に休憩所がある。トイレもある。
その向こうには広大な関東平野の眺望が広がる。


【天主曲輪】
新田神社の社殿脇に「本丸阯」と刻まれた石碑が建っている。
現在は中世城郭で本丸という名称は使わない。戦前まで本丸と呼ばれていたことによるものだ。
ここは城跡の最も高いところで、曲輪の西北角に石垣が積まれた大きな建物跡がある。廃城後、新田神社が建つ前は神聖な場所として源氏の守り神「八幡宮」が祀られていた。


【天主曲輪の眺望】
城内最高所である本丸跡の天主曲輪からは眺望が開ける。

2008/06/10作成 2013/08/14更新 〔郷土文化財コレクション〕
© 郷土文化財探訪プロジェクト 葉月