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常陸国分寺跡
ひたちこくぶんじあと

指定 国指定特別史跡
所在 石岡市府中5-1
概要 ・国分寺は奈良時代の天平13年(741)に聖武天皇の詔で国家安穏と五穀豊穣のために国分尼寺とセットで全国に建てられた寺で、常陸国(現在の茨城県)の国分寺は石岡市中心部の市街地にある。
・昭和52年の発掘調査以降、次々に礎石や瓦などが発見され、東西約270m、南北約240mに及ぶ大規模な伽藍(がらん)であったことが明らかになった。現国分寺の敷地は西半分にあたり、東は国道355号を越えた辺りまでが敷地だったと推定されている。また各建造物の礎石などが明確に確認できる国分寺は全国でも珍しい。
状況 保存整備 〔2001年7月14日現在〕
・現国分寺の入口からまっすぐ奥に向かって本堂への参道が伸び、右側に沿うように中門跡、金堂跡、講堂跡が直線上に並ぶ。山門の手前には七重塔の心礎が置かれている。他に市指定文化財の旧千手院山門や都々一坊扇歌堂が建つ。
写真 2001年7月14日撮影


      常陸国分寺跡        常陸国分寺跡
 

手前右側の柵内が中門跡。この奥、一直線上に金堂跡、講堂跡がある。左手には元あった場所から移された七重塔
心礎が置かれている。



中央右側に「中門跡」が見える。
江戸時代は白い看板の辺りに立派な仁王門が建っていた
という。が、残念ながら焼失。
写真右端の説明板は「常陸国分寺由来」。
 


中門跡。昭和56年(1981)の発掘調査で明らかになった。左右両側には回廊が続いていたこともわかった。


柵で囲まれたところに七重塔の心礎がある。本来の七重塔
の位置は、国道を越えて金堂跡から南東約130mにある「伽
藍御堂(がらみどう)」の地と推定されている。
常陸国分寺は、東大寺式伽藍配置で塔が回廊の外に離れ
て建つのが特徴。
心礎は塔の中心の柱を支えるだけあって非常に大きい。
左の門は旧千手院山門。



七重塔の心礎。

薬師如来堂。


金堂跡。薬師如来堂の背後の木立に礎石が見え隠れしている。昭和57年(1982)の発掘調査で講堂跡とともに明らかになった。
基壇が確認され、その大きさは東西33m以上、南北26.2m。
金堂は、本尊を安置した寺院の中心となる最も大きな建物。


講堂跡。金堂跡の少し奥にある。
昭和57年(1982)の発掘調査で金堂跡とともに明らかになった。
講堂は、説教や教典の講義が行われたところ。


石岡市指定文化財の「都々一坊扇歌堂」。

2003/06/14作成 2008/08/24更新 〔郷土文化財コレクション〕
© 郷土文化財探訪プロジェクト 葉月